蜂屋食品について
はちやの餃子について
塩竈から「食卓に笑顔と健康」をお届けします。
経営理念
わたしたちは、自然の素材を活かした食づくりで、健康で笑顔あふれる暮らしに貢献します。
わたしたちは、真心を包む食づくりで、「ふるさと」を元気にし、笑顔の「和」を広げます。
わたしたちは、優しさと感謝の心で想い合い、成長し幸せな人生を目指します。
創業大正13年、餃子にこだわり60有余年。
お客様、社員、地域、関わる人を幸せに
創業以来、お客様、スタッフ、そして地域の塩竈の皆さんをはじめたくさんの方々に支えていただいております。東日本大震災を経験し、地域のありがたさと関わるすべての方々への感謝を改めて感じると共に、関わるすべての方々の幸せに貢献したいと強く思うようになりました。当社の餃子を通じて地域が良くなり幸せになれるよう、社員一同想いを込めて取り組んで行きたいと思います。
品質への新たなる挑戦
「食品を見分ける」の著者である、故磯部晶策先生指導による「食品添加物を一切使用しない餃子」の開発に取り組んでおります(品名:塩竈 頑固餃子)。良い食材を使い、手間ひまを惜しまず、丁寧な製造を心がけております。地元の食材をなるべく使い、味が良く、安心して食べられ、しかも品質に応じた買い求めやすい価格でご提供できるよう取り組み、今後さらなる商品開発に励んで参ります。新しいことに挑戦する、創業からの姿勢は企業文化として今でも生き続けております。
はちやの歴史
創業大正13年、港町塩竈で、蒲鉾の製造からはじまりました。創業から今年で100年となります。
初代は、いち早く時代をとらえ斬新な商品開発に挑戦する発想の人でした。蒲鉾製造を基本技術として、焼きちくわや魚肉ソーセージ、また魚肉のサラミやハムも製造するなどいち早く時代の先端を取り入れながら新商品開発に取り組みました。
2代目は、戦前満洲に赴いておりました。そのとき満州で食べた「餃子」の味が忘れられず、昭和36年より餃子の製造を始めました。3代目がフライパンをもって市場での試食販売に出かけ、少しずつ広めて行きました。今はすっかりメジャーな食べものとなっている餃子ですが、当時はまったく知られていない食べものです。港町塩竈ならではのエピソードですが、「餃子(ギョウザ)」と読めず、「鮫子(サメコ)」と言っていた人もいたそうです。野菜が中心の餃子の味は今でも「はちやの餃子」の味のベースになっており、パッケージデザインも、市場で販売していた当時のものを踏襲しております。いまでも、パッケージを見て、「懐かしいね。私はこの餃子で育ったんだよ。」というお客様も多くいらっしゃいます。
沿革
大正13年6月 | 初代蜂屋忠志、蒲鉾製造工場設立。蜂屋商店設立 |
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昭和26年2月 | 蜂屋食品株式会社設立 |
昭和36年3月 | チルド餃子製造開始 (2代目が戦前満州へ赴いた時に食べた「餃子」の味が忘れられず、作ることを決意。 |
昭和43年4月 | 第2工場(餃子専用工場)取得 |
昭和50年3月 | 第1工場増設 |
昭和58年10月 | 第1工場改築 |
平成4年4月 | 宮城県水産加工品評会にて農林水産大臣賞受賞(商品名:サーモンロール) |
平成4年11月 | 第31回農林水産祭、水産部部門において(財)日本農林漁業振興会会長賞受賞 (商品名:サーモンロール) |
平成13年8月 | 居酒屋チェーン向け冷凍業務用餃子製造開始 |
平成14年8月 | ラーメンチェーン向け冷凍業務用餃子製造開始 |
平成15年2月 | 本社工場前にて、一般消費者向け冷凍餃子直売開始 |
平成16年5月 | 第2工場増設 |
平成18年4月 | 本社工場餃子直売所新築オープン |
平成21年6月 | 塩釜市貞山通に移転・本社工場竣工 |
平成23年3月11日 | 東日本大震災発生 |
平成28年11月 | 食品添加物を一切使用しない餃子開発販売開始 |