〈知っていますか?宮城県は、白菜の一大産地だったんです!〉
昨日、明成高校の月本先生のご案内で、宮城県岩沼市で農家をされており、現在で15代目にあたる森さんの畑へおうかがいしました。
「みんなの白菜物語プロジェクト」では、ご夫婦でお世話になっています。
実は、岩沼市の玉浦地区では、古くから白菜の栽培を行っていました。
大正末期から昭和初期まで宮城県は白菜の出荷量で日本一でした。
なかでも、岩沼市の玉浦地区が宮城県内で、一位の出荷量を誇っていたのです。
東日本大震災では被災した地域ですが、「みんなの白菜物語プロジェクト」で森さんからご協力いただき、仙台白菜が全国に出荷されていたときの代表的な品種である、「松島純2号」を栽培していただいています。
玉浦地区が一大産地となった理由をお訪ねしたところ、土と砂が混ざった土壌で白菜が育ちやすく、気候も適していたのではないかということでした。収穫した白菜は、仙台市内まで馬車で運んでいたそうです。
当時の様子が、昭和4年に地元の長谷釜神社に奉納された絵馬に描かれています。
長谷釜神社は、震災時もそばに植えてあった、いちょうの木のお陰で流されずにすみ、中にかけられていた絵馬も無事だったそうです。周りの建物がすべて流されてしまっている中、奇跡的にそのままの状態で残っています。
現在絵馬は、岩沼市図書館に保管されています。
〈今年は白菜を育てるのに一番苦労した年だそうです。〉
森さんのお話では、今年は雨が降らなかったり、逆に豪雨で水に浸かったりで、畑の管理に一番苦労したということでした。水が浸かっているときは、畑から水をかきだしたり、水が足りない時には森さんの旦那さんがタンクに水を汲んできて、畑に水を流してくださっていたようです。
74歳の旦那さんが重い水のタンクを毎日運んで、ここまで育てていただいたことを思うと、本当に有難く、大切に育ててくださった思いがギューッと伝わってきます。
白菜の収穫では、専用の包丁を使います。先が内側に曲がっており、根っこの部分をとるときに、まわりを傷つけないようにするためにそのような形になっているということでした。
白菜を横に倒し、まわりを少しはぎとり、その後に包丁を使って根っこをとっていきます。
私も初めて収穫体験を行いましたが、白菜は意外に重く、持ったまま根っこ部分を包丁でそぎとっていくので、手早くするのがコツかなと思いました。
そぎとった根の部分からは水滴がでてきて、葉はパリパリで青々としており、みずみずしく立派な白菜でした。形も良く、ずっしりとして、良い白菜であることが一目瞭然でした。
〈森さんが育てた白菜を使って今年も餃子を作ります!〉
旬の白菜は、歯触りがシャキシャキとしてジューシーで、とっても甘くなっているので、餃子にしたときには、うまみがたっぷりでます。
「松島純2号」は、ぽてっとして丸くて、愛らしい形をしています。森さんが苦労されて育ててくださった今年の白菜は、いつもよりも味は格別なものになるでしょう。
今年もこの白菜を大切に使って、ますますおいしいと言っていただけるような餃子を作りたいと思います。
出来上がりましたらまたご案内いたします。
ぜひ、たくさんの方の思いのつまった餃子を、お召し上がりください。
はちやの餃子(蜂屋食品株式会社) 担当:蜂屋亜津紗
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